沖縄には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産登録されたスポットが全部で9カ所あります。2000年12月2日、日本で11番目に登録されました。沖縄では、「城」という字をあてて「グスク」と読みます。琉球王国以前の沖縄の城でも使われていた独自の城郭を保ったお城で、曲線の城壁の中に多くの施設や広場が建てられていました。造られ始めた明確な時期はわかっていませんが、15世紀ごろには完成していたと言われています。もちろん皆様がご存知の首里城が最も有名ですが、ここではその他の箇所にも触れてご紹介します。
琉球王国は、王政の国で1429年~1879年までの約450年間、日本の南西諸島にありました。奄美諸島から八重山列島までの琉球諸島には、約3万2000年前から人が住んでいたことがわかっていますが、1429年に北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)と呼ばれた3つの国が統一されて琉球王国となりました。1879年(明治12)、日本の明治維新により成立した日本政府により、最後の国王 尚泰(しょうたい)が追放され琉球王国は沖縄県となりました。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、以下の9つからなる遺産です。 沖縄にある多くのグスク及び遺跡の中から、2000年に5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が世界遺産に登録されました。 ・首里城跡(しゅりじょうあと) ・玉陵(たまうどぅん) ・園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) ・識名園(しきなえん) ・斎場御嶽(せーふぁうたき) ・座喜味城跡(ざきみじょうあと) ・中城城跡(なかぐすくじょうあと) ・勝連城跡(かつれんじょうあと) ・今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
首里城は尚家(しょうけ)をトップとする琉球王国の建国に伴い創建されました。2000年に他8つの遺産とともに世界遺産に登録されましたが、この中でも一番目立っているのが首里城跡です。標高120~130メートルの丘の上に位置し曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設や広場があります。また城内には信仰上の聖地もあり、これらはグスクに共通する特徴です。当時の人々の知恵で日本と中国の建築様式を織り交ぜた独特の沖縄文化を最もあらわしています。代表する門の「守礼門」は2,000円札の絵柄にもなり、写真撮影のスポットとしても大変人気です。残念なことに2019年10月31日の未明に大規模な火災が起きてしまい、首里城正殿を含む建物8棟が焼損しましたが、同年12月には園内の約8割が散策可能となっています。日没には城郭のライトアップも行われ、昼間とはまた違った風景を楽しめます。
玉陵は1501年に尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するためにつくり、以降第二尚氏王統の陵墓となりました。沖縄戦で甚大な被害を受けましたが、その後修復され今日に至っています。首里城の「守礼門」から徒歩6分ほどにあり、首里城を訪れるなら併せて足を運ぶ価値のあるスポットのひとつです。
園比屋武御嶽石門は、1519年に尚真王が八重山竹富島の西塘(にしとう)に命じてつくらせ、国王が城から外出する際に道中の無事を祈願した拝所です。聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀礼である「御新下り」(ウアラウイ)でも最初にお参りする場所でした。1945年に戦災を受けましたが、現在は見事に復元されています。
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識名園は1799年に造られた琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。池のまわりを歩きながら景色を楽しむことができる日本の廻遊式庭園を基に、琉球や中国の要素を採り入れた庭園です。
琉球王国の創世神「アマミキヨ」がつくったといわれている斎場御嶽は琉球王国最高の聖地です。パワースポットともいわれており、毎日多くの観光客が訪れています。御嶽の中には6つのイビ(神域)があり、中でも「大庫理」「寄満」「三庫理」は首里城にある部屋と同じ名称であることからも、斎場御嶽は首里城と深い関わりがあります。琉球王国時代の祭事には神の島「久高島」から白砂を運び入れ、それを御嶽に敷き詰めました。
おきなわワールドは首里城から車で約30分ほどの場所にあります。沖縄の自然と文化、歴史が一気に味わえる県内最大級の観光テーマパークです。
ひめゆりの塔においても首里城から車で約40分ほどの場所にあります。沖縄師範学校と沖縄県第一高等女学校に通っていた女学生や教師が、負傷兵の看護をするために動員されました。彼女たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれ、その名にちなんだ慰霊碑・ひめゆりの塔が建設されました。
久高島へは南城市の安座真港から船(フェリーと高速船)で25分です。別名「神の島」とも呼ばれています。久高島の白砂は斎場御嶽に使われたこととしても有名。時間がないけど離島を楽しみたい!という方におすすめです。
座喜味城跡は15世紀の初め、築城家としても名高い護佐丸(ごさまる)によって築城されたと伝えられています。特にアーチ型の門は沖縄に現存する最古のアーチ門といわれています。城壁からは、ほぼ360度の絶景が広がり、晴れた日には慶良間諸島まで見渡せます。
琉球には約300余りのグスクがあったといわれていますが、中城城跡は過去の大戦による被害は少なくグスクの中でも最も原型を留めているため、歴史や琉球における築城技術を知る上でに非常に高い価値を有しています。自然の岩石やその地形を利用した魅力ある曲線の城壁、当時の石積技術を生でみることができます。北の郭、三の郭の増築は護佐丸が関わったと言われています。
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勝連城は13世紀から14世紀にかけて築かれた城です。琉球王国時代には独自に海外との交易を行い、往時には首里城と並ぶほど繁栄していたといいます。琉球統一のためクーデターを起こした有力按司(あじ)の阿麻和利(あまわり)が住んでいた城として有名です。石灰岩の石垣で成り立つ城壁は自然の地形をうまく利用したつくりになっています。
15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利が居城したとして有名な勝連城。 2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。 自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われる勝連城ですが、その城…
今帰仁城跡は琉球統一前の、北山、中山、南山の3つの地域に分かれて勢力争いをしていた時代(三山時代)の北山王の居城で、北山城とも呼ばれています。外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模です。
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琉球村は座喜味城跡から車で10分の場所にあります。琉球古民家があり古き良き沖縄を堪能できます。帰りは残波岬で夕日鑑賞はいかがでしょうか。 美ら海水族館は今帰仁城跡から車で10分の場所にあります。大迫力の巨大水槽は絶対に見逃せません。 うるま市にある海中道路を通ればドライブしながら素敵な海が見られます。休憩がてらに車を停めてのんびりするのも良さそうですね。
沖縄といえばマリンスポーツも魅力的ですが、琉球時代より独自に発展した文化・歴史があります。ご自身のスケジュールに併せて、滞在期間のうち1日は世界遺産巡りにあててみてはいかがでしょうか。きっとあなたのお気に入りスポットが見つかるはずです。
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