サグラダ・ファミリア
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世界遺産サグラダ・ファミリア|主任彫刻家 外尾悦郎氏が造るガウディの想い

スペインの観光地として最も有名な建築物のひとつ、サグラダ・ファミリア。1882年から建設がはじまり、2026年の完成を目指して現在も建設が進んでいる世界遺産ですが、その建設には一人の日本人彫刻家が深く携わっていることはご存知ですか?知っていたらサグラダ・ファミリアに訪れたとき感動が倍になる、一味違う視点からサグラダ・ファミリアについてたっぷりご紹介します。

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2020/05/24

サグラダ・ファミリアはどんな遺産

サグラダ・ファミリアは1882年に建設が開始されてから、130年以上経った現在でも建設が進められている、石積みの「聖家族贖罪教会(せいかぞくしょくざいきょうかい)」。つまり、イエスと聖母マリア、そして養父ヨセフのいわゆる聖家族に捧げる、罪を贖う貧しき者たちのための聖堂として造られました。実はサグラダ・ファミリアは、建設途中にも関わらず建築物の一部が世界遺産として登録されている世界でも異例の遺産。「アントニ・ガウディの作品群」として、ガウディが生前に手掛けたサグラダ・ファミリアの一部分、「生誕のファザード」「地下聖堂」が2005年にカサ・バトリョなどとともに世界文化遺産として登録されています。

サグラダ・ファミリアの主任彫刻家・外尾悦郎

実は現在のサグラダ・ファミリアの建設に大きく携わっている日本人がいます。なんとその日本人彫刻家、外尾悦郎さんはすでに40年以上サグラダ・ファミリアに携わっていて、今やサグラダ・ファミリアを語る上で外せない存在と言っても過言ではありません。

サグラダファミリア修復の仕事をするまでの経緯

1953年に福岡で生まれ、京都市立芸術大学彫刻科に進学した外尾さん。石の彫刻の世界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、大学時代の石の先生でした。その先生はもともと特攻隊員で、戦争で死ぬはずだった人間。変わらぬものを求めていった結果、「石」にたどり着いきました。その先生の「日々を命がけのつもりで生きる」生き様に憧れ、25歳のとき、石工になるために日本を飛びだしバルセロナへと向かいました。 ただ、当時は3ヶ月の旅のつもりでスペインへと足を運んだのだそう。なにか大きなことをやってみたいと考えてはいたけど、それが何かはわからなかったという外尾さん。たまたま教会の工事現場に大きな石が積み重なっているのを見て、自分にも1つ彫らせてもらえないかと頼み込みました。その結果、生誕のファサードのハープを持った天使の彫刻を担当することとなり、その後40年以上もサグラダ・ファミリアに携わるきっかけとなりました。

外尾さんのサグラダ・ファミリアに対する想い

サグラダ・ファミリアの石を彫るにあたって、外尾さんはガウディの考えに近づきたい思いで、ガウディについてひたすら勉強をします。しかし、ガウディの過去の考えには一向に近づいていないことに気づきました。そのため、ガウディを追いかけるのではなく、ガウディの見た未来を想像することにしました。ガウディと同じ方向を見ることによって、自然とガウディがどんな未来を作りたかったのか想像し、それを具現化してきました。そんな外尾さんが常に自身に言い聞かせてきたという言葉は「いまがその時、その時がいま」(引用2:致知出版社)。一年契約のサグラダ・ファミリアの建設を30年以上も更新してきたという外尾さんは常に真剣に命がけの気持ちでガウディの描いた未来と向き合います。その真摯な姿勢は日本人の誇りとなるだけでなく、国境を超えてスペインの方々からも厚い尊敬の眼差しを向けられている理由なのでしょう。

サグラダ・ファミリアの建築家「アントニ・ガウディ」

サグラダ・ファミリアの建築家、ガウディは1852年にスペイン・カタルーニャ地方で銅器具職人の三男として生まれました。幼少期の頃は病弱だったものの、すでに建築への興味が芽生えていたようで、ガウディの卓越した立体感覚は幼少期に養われたと言われています。その後、16歳の頃に建築を学ぶため、バルセロナに移り住むこととなりました。母の死など、度重なる不幸がありながらも、建築過程を終了。パリ万国博に自身の作品をは発表したことがきっかけで、当時の実業家で後に国会議員にもなるエウセピオ・グエルに認められました。その結果ガウディはサグラダ・ファミリアの2代目建築家として推薦され就任。グエルはその後40年近くもの間、ガウディのパトロンとして支援し続け、ガウディが建築家としての活動を広げる大きな力となりました。

ガウディの死因・お墓

晩年に最大の支援者、エウセピオ・グエルを亡くしたガウディは、サグラダ・ファミリアの建築も費用面が問題となり、なかなか工事が進められない状況にありました。そんな悩みの耐えない日々の中、1826年6月7日に教会へ向かう途中に市電に轢かれ、3日後にサグラダ・ファミリアの建設も夢半ば、73歳の生涯を閉じました。

ガウディの遺体は彼の人生を捧げた最高傑作、サグラダ・ファミリアの地下聖堂で現在も眠っています。

サグラダ・ファミリアの歴史

サグラダ・ファミリアは、民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が設立を計画。その初代設計はフランシスコ・ビリャールが務め、1882年に着工しました。しかし、その翌年にフランシスコ・ビリャールは運営側との意見が合わないことを理由に設計を辞退。その後、後任として選ばれたのが、アントニ・ガウディでした。彼はフランシスコが立てていた設計を全て白紙に戻し、自らの作品を1から構想し、作り上げていきました。壮大な建築計画の中、亡くなるまでにガウディが実際に建てたのは、全体の5分の1から4分の1程度と言われています。

ガウディが亡くなって以降、弟子たちがその建設計画を引き継ぎました。しかし、その10年後にサグラダ・ファミリアのその後を左右する出来事、「スペイン内戦」が起こります。内戦自体は3年後の1939年に終結しましたが、内戦によりガウディが残した設計に関する資料の大半は失われ、建設計画は難航。その13年後の1952年、ようやくサグラダ・ファミリアの工事が再開されたのでした。

サグラダ・ファミリアがなかなか完成しない理由

ガウディの死後、内戦で残った僅かなデッサンと、工事に携わっていた職人の聞き伝えにより工事が再開されることとなったサグラダ・ファミリアでしたが、直面したのは資金不足による問題でした。当時、その建設資金となるのは信者たちの寄付のみ。ガウディを支援し続けたグエルが亡くなった後には更に資金面の問題が深刻となり、工事計画が大幅に遅れたことで、サグラダ・ファミリアの完成には300年かかるという噂が評判になったのでした。

現在では寄付はもちろん、観光収入も大きく建設資金として担うこととなったので、安定した建設費用を得られることとなりました。また、技術の進歩も相まって大幅に建設計画が短縮された結果、ガウディの死後100年となる2026年に完成予定とされ、世界中でその完成に大きな期待を寄せられています。

サグラダ・ファミリアが世界遺産登録となった理由

スペインを代表する建築物のサグラダ・ファミリアですが、その一部が「アウトニ・ガウディ作品群」として世界文化遺産に登録された理由は以下3つの登録基準に当てはまります。

(i) 人類の創造的才能を表す傑作である

(ii) ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展における人類の価値の重要な交流を示していること。

(iv) 人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体または景観に関する優れた見本であること。(引用1)

圧倒的に壮大な建築計画とその景観は見る者を魅了し、他では見られない後世に残すべき優れた芸術性を感じます。一個人の作品でありながら、人類共通の遺産となった、そのたぐいまれな才能に触れてみてください。

外尾さんが手掛けたサグラダ・ファミリアの見どころ

生誕のファサード

サグラダ・ファミリアの中で唯一ガウディの生前に作られたと言われる「生誕のファサード」。圧倒されるほど繊細な彫刻が施されていますが、実はイエス、聖母マリア、ヨセフを囲む15体の天使像は外尾さんの作品。9人の合唱隊、6人の楽器を奏でる天使たちがキリストの誕生を祝っている姿を表現しています。今にも動き出しそうな天使たちは、模型の写真を頼りに、服装からモデルまで考え抜いて作られており、細かなところまで外尾さんのこだわりを感じます。15体の天使が完成するのに17年を費やし、5年後の2005年には生誕のファサードが世界遺産に登録されることとなりました

生誕の門扉

是非大聖堂に入場する前に一度足を止めていただきたいのが、外尾さんが携わった「生誕の門扉」。サグラダ・ファミリアの開館中は扉が開けっ放しになっているので、なかなか気づく人も少ないのですが、そこには関係者の間では「ソトオズドアー」と呼ばれる、ブロンズ製の鮮やかな扉があります。

◆慈悲の門

中央のイエスを抱く聖母マリアと夫ヨセフ夫婦像が描かれ、命のつながりを表現した「慈悲の門」。扉を覆い尽くすツタとかぼちゃの彫刻が印象的です。ツタとかぼちゃは夫婦の象徴とされており、ツタはマリアのツタと呼ばれている棘のない種類のツタをモデルに作成しました。更に、子供が好きだったガウディの心を受け継ぎ、遊び心のあるカブトムシやカマキリもツタ上で遊んでいる様子が彫られています。(参考1)

◆希望の門

また、左手にあるエジプトへの逃避のシーンが描かれた「希望の門」では、野菜の添え木などに使われる農作業には欠かせないアヤメ花が彫刻されています。アヤメはカタルーニャの聖地、モンセラットで年老いた修験者たちが最期の時間をおくる場所で育てていた植物。外尾さんはそれを希望の象徴としてキリスト教徒の象徴である魚とともに彫刻しました。

◆信仰の門

さらに、右手の「信仰の門」には、聖母マリアを象徴した野バラで埋め尽くすように彫刻されています。外尾さんは信仰が深い人は、心に棘のないバラの花を咲かせていると考え、外尾さんの彫刻した野ばらには棘がなく、小鳥や虫たちも立ち寄っています。その中には、昔ガウディを刺して怒ったガウディに潰されてしまったサソリも。ガウディに嫌われてしまって可愛そうだという外尾さんの想いで扉に彫られました。訪れた際には是非見つけてみてくださいね。

サグラダ・ファミリア建設の想いを感じに出かけよう

世界的にも有名な世界遺産、サグラダ・ファミリア。そのスペインを代表する建築物を建設する背景には、日本人彫刻家の外尾悦郎さんの存在と、ガウディが想像した未来を共に創造する者の志や想いがありました。

サグラダ・ファミリアの建設完成予定は2026年。完成後の姿ももちろん楽しみですが、実際に建設に携わる人々のエネルギーを感じながら眺める、建設中のサグラダ・ファミリアの姿も、今しか見れない魅力かもしれません。

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