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首里城とは?沖縄の歴史が学べる観光名所の基本情報

沖縄といえば青い海、ビーチを思い浮かべる人が多いかもしれません。せっかく訪れるなら、景色だけでなく沖縄特有の歴史や文化にも触れてみませんか?約450年間続いた琉球王国のシンボルとされ、沖縄のランドマークである首里城(しゅりじょう)。観光客はもちろん、沖縄県民に長く愛される名所のひとつです。この記事では首里城の歴史やアクセス方法、見どころ、おすすめルートを紹介します。

2020/06/18

首里城とは

まずは歴史をチェックして、首里城を深く知っていきましょう。訪れたときに、ぜひ琉球王国時代の面影をたどりながら歩いてみてください。

建設の歴史

14世紀に創建

尚巴志(しょうはし)が、争いと和解を繰り返していた「按司(あじ)」とよばれる豪族を統括し、初めて統一権力を確立しました。このことから尚氏、尚家(しょうけ)をトップとする琉球王国が始まり、建国に伴い首里城が創建されます。グスクと呼ばれる、王国以前の沖縄の城でも使われていた独自の城郭を保ったお城で、曲線の城壁の中に多くの施設や広場が建てられていました。

首里城は一気に建てられたわけではなく、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成しています。正殿や南殿、北殿は首里城の施設の中でも歴史上で中国や日本との長い関わりがあったことから、所々に両方の建築文化の影響を受けているのがわかります。王宮は政治や経済活動、芸能が盛んに行われた場所であり、それぞれの文化の中心でもありました。

中国の支配下に置かれながら、首里城は焼失と再建を何度も経験することとなります。同時に、1609年に侵攻してきた薩摩藩の従属国である琉球王国の立場を見守っていました。

19世紀~沖縄戦

1879年に首里城から国王が追放され、首里城は明け渡されることとなります。琉球王国は現在の沖縄となり、首里城は今までの王宮の役割ではなく、日本軍の駐屯地や学校などに使用されました。

そして1945年第二次世界大戦中の沖縄戦でアメリカ軍の攻撃を受けた首里城は全焼。しかしながら、戦争時に旧日本軍が司令部としていた地下壕が今でも残っており、崩落の危険性があるとして公開はされていません。

戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとされていましたが、大学の移転が決定し、首里城復元が進められていきました。

20世紀以降

1992年に正殿や御庭、城門などが復元され、首里城公園の一部が開園となります。そのあとも、紫外線や激しい風雨により漆塗装や彩色の劣化が目立つようになり、金箔の剥がれなどもあったため、お城の維持のため正殿の塗り直しが検討されました。

2016年から着手した首里城正殿の塗り直し作業は2018年に完了しています。

九州・沖縄サミットと首里城

2000年には首里城北殿にて「九州・沖縄サミット」社交夕食会が開催されました。サミットでは先進国の首脳が集まり、政治や経済などについて話し合いをします。九州・沖縄サミットでは貧困削減や経済発展、感染症対策、貿易について討議が行われました。

このサミットの際に、当時の総理であった小渕恵三氏の案で2000円札が発行されることとなります。紙幣表面右側に描かれている門は、首里城の「守礼門」です。この2000円札を通して復興支援に役立てようと、県内の銀行にも動きがあったといわれています。

世界遺産に登録

平成12年、2000年12月には首里城跡、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。

琉球王国の政治、外交の中心として長きにわたり重要な役割を果たしてきた首里城。独特の建築様式や技術に価値があるとされ、高い評価を受けたのです。

首里城の火災による影響と再建

1453年の王位継承をめぐる争いから発生した首里城の全焼。そして1660年、1709年、1945年と、歴史上で4回も火災の被害に遭い、再建を繰り返してきました。しかし、誰もが予想していなかった5回目の焼失が2019年に起こってしまったのです。ここでは再建に励む首里城の状況を紹介します。

焼失した建物

2019年10月31日、ニュースでも燃え上がる炎に包まれる首里城が大きく取り上げられました。正殿だけでなく、炎は瞬く間に「御庭(うなー)」への入り口の「奉神門(ほうしんもん)」や、南殿に隣接する「書院」にも燃え広がりました。

当時琉球王国時代の儀式を再現した「首里城祭」が開かれており、火災が起こる前日の夜まで現場でリハーサルが行なわれていましたが、火災時は無人だったと報告されています。考えられる原因は未だに解明されていませんが、事件性のあるものではなかったといわれています。2019年1月に復元作業が終わり、2月には「御内原(おうちばら)」と呼ばれる新区域がオープン、「首里城祭」が開催された10月に火災が発生。この出来事は人々に深い悲しみと衝撃をもたらすこととなりました。

再建の費用と工程

沖縄の象徴である首里城の火災のニュースは世界でも報道され、台湾の総統は、ツイッターで驚きを隠せず、心を痛めていますと日本語で投稿しました。そして再建を願い、政府から350万円、現地の台湾華僑団体から200万円、合わせて550万円を日本に寄附(寄付)したのです。

国内の例では、2019年11月に沖縄のリゾートホテルである「ルネッサンスリゾートオキナワ」が支援として100万円を寄附。さらに那覇市ではふるさと納税制度を利用したクラウンドファンディングで世界中からの寄附金が集まりました。開始からたったの2日で1億円、最終的におよそ10億円もの額が集まり、首里城が沖縄の重要なシンボルであることが改めて証明されました。

木材調達とボランティア活動

再建を行なうにあたり、木材調達の問題も浮き彫りになっています。前回の復元作業では台湾ヒノキを多く使用していましたが、実は、現在は伐採が規制されています。そこで基本的には国内のヒノキを使用する方向で検討しているとのことですが、大径木は世界的に枯渇しているため、適用する木材を探すだけで時間を要することが予想されます。

それでも再建の動きは勢いを止めることがなく、状態の良い瓦は再利用するとして、漆喰を綺麗に剥がすボランティア作業が2020年3月より開始しました。現時点でも引き続きボランティアを募集しています。

※【4月分WEB受付開始】首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

この度、沖縄県、沖縄総合事務局、国営沖縄記念公園事務所、(一財)沖縄美ら島財団では、 昨年10月31日に発生した火災により影響を受けた首里城の赤瓦について、ボランティアを募集します。

見学できるエリア

多くの施設が焼失してしまい臨時休園していた首里城公園ですが、現時点(2020年5月)では火災前の約8割が見学可能となっています。正殿などがある有料エリアは再建中となり、立ち入り禁止です。

15世紀に建てられ、沖縄戦で焼失し、その後再建された沖縄の象徴である「守礼門」、1502年に創建された雨水などが集まる貯水池である「円鑑池」、池の中央に建つ「弁財天堂」も無料で見学できます。

最新の閲覧可能エリアやイベントの詳細情報は公式サイトで確認してください。

首里城公園

首里城は、琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人。琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として、王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間…

首里城公園のアクセスと入場料金

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首里城のアクセス方法や営業時間など、観光の基本情報をチェックしていきましょう。

ゆいレール

沖縄都市モノレールである「ゆいレール」に乗車、最寄駅「首里」駅で下車します。そこから首里城公園までは徒歩約15分です。徒歩以外でも首里駅前バス停より路線バスに乗ることもできます。「首里城前」にて下車し、徒歩1分で守礼門に到着。ゆいレールは空港からも乗車可能です。

路線バス

路線バスでの行き方は主に3通りあります。

■市内線1番もしくは14番、市外線346番

首里駅前のバス停より乗車し、「首里城公園入口」にて下車します。その後徒歩約5分で守礼門に到着します。

■首里城下町線7番もしくは8番

乗車後、「首里城前」にて下車します。徒歩約1分で守礼門前に到着します。

■市内線9番もしくは13番、市外線25番もしくは97番、125番

乗車後は「山川」にて下車し、徒歩約15分で守礼門に到着します。

タクシー

那覇空港からは約40分~60分で到着します。町でタクシーを拾ってもいいですが、観光タクシーのような定額の料金で予約できるものもあります。

国際通りや三越前など那覇市内からは約15分~25分、識名園からは約10分~20分の所要時間です。本土よりはタクシー料金は比較的安めに設定されています。

一般車、レンタカー

那覇ICから 車(一般道)で約15分です。那覇空港からの場合は国道331号線へ出て、那覇市内中心部へ向かってください。

※那覇空港自動車道「豊見城・名嘉地IC」を利用の場合は、国道329号線になります。

周辺には多くの民間駐車場が点在しています。県営の駐車場は地下に位置しており、利用時間は3時間以内となっているところが多いです。

入場料

有料区域は見学不可のため全て無料で入ることができます。(2020年5月時点)

火災前の有料区域入館券の料金は大人830円、中人(高校生)630円、小人(小中学生)310円です。

※以前は大人820円、中人(高校生)620円でしたが、2019年10月より消費税改定に伴い大人と中人料金が変更となりました。

営業時間

無料区域の開園時間は8:00~19:30です。7月~9月は8:00~20:30、12月~3月は8:00~18:30なので、訪れる際は事前に公式サイトなどで最新情報を確認しましょう。

首里杜館はレストラン、売店、地下駐車場を含み7月の第1水曜日とその翌日に休場日となります。

首里城公園観光の見どころ

守礼門

まず首里城公園に入って出迎えてくれるのが中国様式を取り入れた朱色の門です。「琉球は礼節を重んずる国である」を意味する文字が門の扁額に掲げられています。守礼とは「礼節を守る」という意味です。沖縄戦で焼失したあと、首里城で最初に再建されました。2,000円札の絵柄にも使われています。

園比屋武御嶽石門

1519年に尚真王(しょうしんおう)の代に建造された安全祈願を行う門です。人のための門ではなく、神への礼拝の門として当時は聖域な場所となっていました。1957年の復元後、世界遺産にも登録されています。

奉神門

正殿へ向かう最後の門で、1562年以前に建造されたといわれています。3つの入口があり、中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)といった、身分の高い人だけが通ることのできる門でした。この門の奥には焼失してしまった正殿があります。ほとんどが焼失してしまった中、正殿の一対の大龍柱はかろうじて形を残しており、2019年12月には火災現場に立ちすくむ一対の大龍柱の様子が報道陣に公開されました。再建を願うキャンペーンロゴにもこの大龍柱が描かれています。

2020年5月時点では奉神門の手前まで見学できます。再建現場も一般公開する方針、という情報もあるので、1日でも早く一対の大龍柱、そして再建された正殿も見られる時期が来ることを願いましょう。

龍樋

かつては王宮の飲料水として利用された湧水です。龍が水を噴き出す彫刻は約500年もの歴史があり、中国の皇帝などが琉球王国を訪ねた際は、毎日港近くにある宿舎までこの湧き水を運んだという説もあります。

西のアザナ

西側の城壁に設けられた標高130mの物見台です。那覇の街並みや那覇港、天気がいいときには慶良間諸島まで一望できます。夕日スポットとしても人気で、写真撮影にぴったりです。

見学のおすすめルート 

見どころばかりの首里城をどうやって回るか迷う人も多いはず。限られた旅行時間の中で、おすすめの園内ルートを紹介します。

おおよそ30分~40分あれば園内は回れます。守礼門から始まり、龍樋のあと、瑞泉門、漏刻門を通って行くと、奉神門前に到着します。そのあと守礼門に戻る方向で京の内、西のアザナと回り、終了です。ゆっくり見学する場合は1時間ほどかかる場合もあります。

公式サイトではモデルコースのダウンロードや全体施設マップも確認できるので、チェックしてみてください。

周辺の城下町散策もおすすめ

城内だけでなく、首里城のまわりの町歩きもおすすめです。小高い丘に首里城の城下町が広がっています。「首里金城町石畳道」は琉球石灰岩を敷き詰めた300mの風情のある古道です。もともと1522年頃に築かれたときには4kmほどありましたが、戦争の影響で破壊されてしまいました。首里金城町村屋と呼ばれる場所はレストスペースになっており、トイレや喫煙所もあります。道の両側には石垣や赤瓦の古民家が並び、見学は自由ですが住宅として普通に暮らしている場所なのでマナーに気をつけましょう

また、首里城周辺にはおしゃれなランチスポットやカフェ、レストランが立ち並んでいます。美味しい沖縄そば、ゴーヤチャンプル、伝統茶など観光前でも後でもゆっくり楽しめます。

お土産

散策したらお土産も忘れずにゲットしましょう。首里城のお土産売り場では、沖縄で魔除けとされる塩の入った龍柄付き紅型お守り袋や首里城限定のオリジナルグッズが販売されています。首里城公園のキャラクターのハンドパペットやぬいぐるみなど、首里城ならではのグッズもあるので、お土産探しを楽しんでください。

首里城や沖縄の名所をもっとよく知るなら、ツアーに参加しよう!

ただ訪れるのではなく、歴史を知っておくことでより深く名所観光を楽しむことができます。オーディオガイドや案内板を頼るのもいいですが、直接地元ガイドからの詳しい説明を聞いて、より充実した旅行にしませんか?ベルトラの現地オプショナルツアーならガイドウォークツアーが予約できます。ぜひチェックしてみてください。

※交通機関や施設の料金、時間等は予告なく変更になる場合があります。最新情報は公式サイトも合わせてご確認ください。

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